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【2000年振り返り】ネットニュース黎明期の熱狂と「IT革命」前夜の記憶

西暦2000年。ミレニアム(Millennium)という言葉が街に溢れ、新しい時代の幕開けに日本中が沸き立っていた年です。いまや生活インフラそのものとなったインターネットですが、当時はまだ「パソコンに詳しい一部の人たちの趣味」から「一般家庭への普及」へと移行する過渡期にありました。https://wp.chatbuz.net/%e3%80%90%e5%8c%bb%e5%b8%ab%e7%9b%a3%e4%bf%ae%e3%80%91%e3%82%af%e3%83%9e%e5%8f%96%e3%82%8a%e5%86%8d%e7%94%9f%e6%b3%a8%e5%b0%84%e3%81%af%e5%8a%b9%e6%9e%9c%e3%81%aa%e3%81%97%ef%bc%9f%e5%a4%b1%e6%95%97/

「IT革命」が流行語大賞を受賞し、携帯電話ではiモードが大流行。通信回線は「ピーヒョロロ」という接続音でおなじみのダイヤルアップ接続から、常時接続へと変わり始めたのもこの頃です。

本記事では、2000年当時の社会ニュースやインターネット環境を振り返りながら、当時の私たちがどのようにして情報を得ていたのか、あの頃の「ネットニュース」の形を掘り下げていきます。30代~50代の方にとっては懐かしい記憶の答え合わせとして、若い世代の方にとってはインターネット史の貴重な記録としてお楽しみください。

目次

2000年を象徴する主な出来事と社会ニュース

20世紀最後の年となった2000年は、明るい話題と衝撃的な事件が入り混じる激動の1年でした。まずは、当時世間を賑わせた主なトピックを振り返ってみましょう。

無事に過ぎ去った「2000年問題(Y2K)」

2000年を迎える瞬間、世界中が固唾をのんで見守っていたのが「2000年問題(Y2K問題)」でした。当時のコンピューターの多くは、年号を西暦の下2桁(99年など)で管理していたため、「00年」になった瞬間に「1900年」と誤認し、システムが誤作動を起こすのではないかと懸念されていました。

「銀行のATMが止まる」「飛行機が墜落する」「発電所が停止して大停電が起きる」といった都市伝説レベルの噂まで飛び交い、企業や官公庁のエンジニアは大晦日に徹夜で待機していました。しかし、蓋を開けてみれば大きなトラブルはほとんど発生せず、「なんだったんだ」という安堵と拍子抜けした空気が正月の日本を包みました。この騒動は、コンピューター社会の脆さと重要性を一般の人々が初めて強く意識した出来事だったと言えます。

シドニーオリンピックと2000円札の発行

明るいニュースとして記憶されているのが、9月に開催されたシドニーオリンピックです。女子マラソンの高橋尚子選手が金メダルを獲得し、「Qちゃん」ブームが巻き起こりました。柔道の田村亮子(谷亮子)選手が「最高でも金、最低でも金」の宣言通り金メダルを獲得したのもこの大会です。

また、7月には九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)が開催され、これを記念して「二千円紙幣」が発行されました。守礼門が描かれた新しいお札は一時的に話題になりましたが、自動販売機などの対応遅れもあり、流通量は徐々に減少していきました。今となっては幻のような存在ですが、当時は「ミレニアム記念」として財布に入れておく人も多かったものです。

世間を騒がせた重大事件・事故(雪印集団食中毒など)

一方で、企業の信頼を揺るがす大きな事件も多発しました。特に衝撃を与えたのが「雪印集団食中毒事件」です。低脂肪乳を飲んだ消費者が次々と食中毒症状を訴え、被害者数は1万人を超えました。当時の社長が記者会見で放った「私は寝てないんだよ!」という失言は、テレビのワイドショーで繰り返し放送され、企業コンプライアンスや危機管理の重要性が問われるきっかけとなりました。

また、地下鉄日比谷線脱線衝突事故や、世田谷一家殺害事件(未解決)など、現在でも語り継がれる痛ましい事件・事故が多く発生した年でもあります。

【表】2000年の主な出来事一覧

主な出来事・トピック
1月 2000年問題(大きな混乱なし)
大阪府知事選で太田房江氏が当選(全国初の女性知事)
2月 Windows 2000 発売
3月 PlayStation 2 発売
地下鉄日比谷線脱線衝突事故
4月 介護保険制度スタート
5月 西鉄バスジャック事件
6月 雪印乳業集団食中毒事件発生
7月 九州・沖縄サミット開催
二千円札発行
9月 シドニーオリンピック開催(高橋尚子選手が金メダル)
10月 鳥取県西部地震
11月 アメリカ大統領選(ブッシュ対ゴアの大接戦)
ストーカー規制法施行
12月 BSデジタル放送開始
世田谷一家殺害事件
流行語大賞に「おっはー」「IT革命」

「IT革命」が流行語に:当時のネット環境とニュースの形

2000年の新語・流行語大賞には「IT革命」が選ばれました。当時の森喜朗首相が「イット革命」と読み間違えたというエピソードも有名ですが、それほどまでに「IT(Information Technology)」という言葉が急激に生活に入り込んできた時代でした。

テレホーダイからADSL・常時接続への過渡期

2000年のインターネット環境を語る上で欠かせないのが、通信速度と料金の問題です。当時はまだ光ファイバーなど夢のまた夢。多くの家庭では電話回線を使ったアナログモデムやISDNを利用していました。

電話回線を使うため、ネットに繋いでいる間は電話が話し中になります。さらに従量課金制だったため、長時間のネットサーフィンは高額な請求に直結しました。そこでネットユーザーの命綱だったのが、NTTの「テレホーダイ」です。夜23時から翌朝8時まで指定の電話番号への通話料が定額になるこのサービスのおかげで、当時のネット住民は「23時からが活動開始時間」という夜型生活を余儀なくされました。

しかし、2000年はまさに変革の年でした。フレッツ・ISDNによる常時接続が広がり始め、一部の地域ではADSLの試験サービスも開始。時間を気にせずネットができる環境が、徐々に整いつつあったのです。

iモード全盛期:携帯電話でのニュース閲覧スタイル

パソコンよりも先に一般層に「ネットニュース」を浸透させたのは、実は携帯電話だったかもしれません。1999年にNTTドコモが開始した「iモード」は、2000年には爆発的な普及を見せていました。

小さなモノクロ液晶(一部カラー化が始まった頃)で、メールの送受信だけでなく、天気予報、乗り換え案内、そしてニュースのヘッドラインを読むスタイルが定着しました。「iメニュー」からニュースサイトにアクセスし、短いテキストで世の中の動きを知る。これは、新聞やテレビ以外の媒体で最新情報を得るという、新しい習慣の始まりでした。当時の若者は、休み時間になると携帯電話をポチポチと操作し、着メロのダウンロードと共に芸能ニュースなどをチェックしていたのです。

動画はなく「テキスト」が主役だった時代

現在のネットニュースは、高画質の写真や動画が埋め込まれているのが当たり前ですが、2000年当時は「画像1枚を表示するのに数秒~数十秒かかる」のが普通でした。動画のストリーミング再生などは、まだ技術的にもインフラ的にも困難でした。

そのため、当時のコンテンツの主役は圧倒的に「テキスト」でした。ニュース記事も画像は最小限で、文字情報で構成されていました。サイトのデザインも、読み込み速度を優先したシンプルなHTML構成が主流。この「テキスト主体の文化」が、後述する独特のテキストサイト文化や掲示板文化を育んでいくことになります。

ネットニュース黎明期:個人サイトと掲示板の隆盛

2000年当時、人々はどこで「ネット上のニュース」を見ていたのでしょうか。大手メディアの公式サイトも存在していましたが、それ以上に影響力を持っていたのが、ポータルサイトと個人の力でした。

大手ポータルサイト(Yahoo! JAPANなど)の役割

当時のネットユーザーのブラウザのホーム画面(スタートページ)の多くは、「Yahoo! JAPAN」に設定されていました。検索エンジンとしての機能はもちろんですが、トップページに掲載される「Yahoo!トピックス(ヤフトピ)」の影響力は絶大でした。

新聞社や通信社から配信された記事の見出しが13文字程度で並び、クリックすると記事本文へ飛ぶ。このシンプルな構造は現在も受け継がれていますが、情報源が限られていた当時、ヤフトピに掲載されることは社会的事件そのものでした。また、インフォシークやgoo、ライコスといった他のポータルサイトも凌ぎを削っていましたが、ニュースのハブとしてはYahoo!の一強時代が築かれつつありました。

情報源としての「個人ニュースサイト」と「テキストサイト」

2000年前後は、個人が運営するウェブサイトが輝いていた時代です。ブログやSNSが登場する前、HTMLタグを手打ちして作られた「個人ニュースサイト」が、独自の視点でニュースをキュレーションしていました。

管理人が気になったニュースへのリンクを貼り、一言コメントを添える形式のサイトは、マスメディアとは異なる視点(オタク文化、ガジェット、サブカルチャーなど)で情報を深掘りしていました。読者は「巡回」と称して、お気に入りの個人ニュースサイトを毎日チェックするのが日課でした。

また、「侍魂」に代表されるような、日記やエッセイを面白おかしく綴る「テキストサイト」も大ブームとなりました。彼らが取り上げるネタやニュースは瞬く間にネット上で拡散され、現在のインフルエンサーの先駆けとも言える存在でした。

ネット掲示板(2ちゃんねる)と犯罪予告・炎上の原型

1999年に開設された巨大掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」も、2000年には既に大きな社会的影響力を持っていました。マスメディアが報じない裏情報や、ユーザー同士の議論、そして時にはデマや誹謗中傷が渦巻くカオスな空間でした。

特に2000年5月に発生した「西鉄バスジャック事件」は、ネット社会に衝撃を与えました。犯人の少年が犯行前に2ちゃんねるに「ネオ麦茶」というハンドルネームで犯行予告とも取れる書き込みをしていたことが発覚したのです。これは、ネット上の書き込みと現実の犯罪がリンクした最初期の事例として大きく報道されました。

「ネットは匿名だから何を書いてもいい」という当時の風潮に対し、警察の捜査が入る現実を見せつけられた出来事であり、その後のネットニュースや掲示板の在り方に大きな影を落としました。

2000年と現在のネットニュース環境の比較

あれから20年以上が経過し、私たちのネット環境は劇的に変化しました。最後に、2000年当時と現在のネットニュース環境を比較してみましょう。

情報の「受信」からSNSによる「発信・拡散」へ

2000年のネットニュースは、基本的に「メディア(発信者)」から「ユーザー(受信者)」への一方通行でした。ユーザーができることは、掲示板に感想を書くか、自分のサイトで言及することくらいでした。

現在はTwitter(X)やInstagramなどのSNSにより、誰もがニュースの発信者となり、拡散者になれます。ニュースサイトのコメント欄や引用リポストで即座に世論が可視化されるようになりました。情報のスピードは格段に上がりましたが、同時に不確かな情報があっという間に広まるリスクも増大しています。

フェイクニュースへの意識とリテラシーの変化

2000年当時は「ネットに書いてあることは嘘だと思え」という、ある種の自衛本能(ネットリテラシー)がユーザー間にありました。「ソース(情報源)を出せ」という言葉が頻繁に使われ、嘘を嘘と見抜く力が求められていました。

しかし、スマホの普及で誰もがネットに触れるようになった現在、巧妙なフェイクニュースや偏ったアルゴリズムによる情報の選別が問題となっています。2000年当時の牧歌的でありながらもアンダーグラウンドだったネット空間とは異なり、現在はネットニュースが現実の政治や経済を動かす主戦場となっています。

【表】2000年と現在のインターネット環境比較表

比較項目 2000年当時 現在(2020年代)
通信回線・速度 ダイヤルアップ、ISDN(64kbps)
※ADSL黎明期、従量課金が主流
光回線、5G(1Gbps~)
※常時接続・定額制が当たり前
閲覧デバイス デスクトップPC(Windows 98/Me/2000)
フィーチャーフォン(ガラケー)
スマートフォン(iPhone/Android)
タブレット、ノートPC
主な情報源 Yahoo!トピックス、個人ニュースサイト
2ちゃんねる、メルマガ
SNS(X, Instagram, TikTok)、
ニュースアプリ(SmartNews等)、動画サイト
ニュースの形式 テキスト主体
画像は小さく軽いものが数枚
高画質画像、動画、ライブ配信
ショート動画によるダイジェスト
ユーザーの行動 PCの前でじっくり読む(ROM専が多い)
「キリ番」を踏んで掲示板にカキコ
移動中や隙間時間にスマホで流し読み
「いいね」「リポスト」で瞬時に拡散
流行語・用語 IT革命、テレホタイム、ネチケット
逝ってよし、詳細キボンヌ
DX、バズる、炎上、インフルエンサー
AI、タイパ

まとめ:あの頃の熱量を懐かしんで

2000年のネットニュースは、現在のように洗練されたシステムも、鮮明な動画もありませんでした。しかし、回線の遅さにイライラしながらも、テキストの向こう側に広がる新しい世界に、誰もがワクワクしていた時代でした。

「IT革命」という言葉が示す通り、2000年はまさに情報の在り方が変わる分水嶺でした。当時のニュースや出来事を振り返ることは、私たちがどこから来て、どこへ向かっているのかを再確認する良い機会になるかもしれません。たまには昔のブックマークを開くような気持ちで、当時の空気を思い出してみてはいかがでしょうか。

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